Wrecks についての批評は戸惑いが感じられるものが多いですが、こちらは好意的でした。
特にエド様について。
GayCityNews (ゲイ・シティ・ニュース?そっち系?)10月26日付の記事
Visiting Hour: Neil LaBute's fascinating, revelatory, では、
ニール・ラビュートは今日のわれわれにとって最も勇気ある戯曲を残そうとしている。
それは最低のタブーと最高の不快さのためではなく、人生でも特に複雑な問題を、言い訳がましいところはなく、ストレートに表現しているということからである。
という書き出しで始まり、ストーリーの説明があって、
最後になったが、エド・ハリス(様)がラビュートのもっとも複雑なキャラクターであるエドワードを演じている。
ハリス(様)は彼の演技力やパワーではなく、その控えめさで惹きつける。
エドワードは家族には言えない、しかし語る必要のある秘密を独白として語り始める。
そして彼は他の部屋で人々に悲しみを語っている自分自身の声を聞き、そこに含まれているよりももっと自分の悲しみが深いことに気づく。
この瞬間が、このキャラクターについてもっとも雄弁に語っている部分であり、ラビュートの作品のテーマであり、人間関係の悲劇ということである。
ハリス(様)はこの瞬間をシンプルに演じることで、これまでになく共感できる、悲しいキャラクターを作り上げている。
同時に、ハリス(様)はジョジョ(妻の愛称)との人生への祝福を完璧にリアルに描いている。
彼らの出会いや結婚はむしろ小さい出来事で、長い年月を奪った交通事故こそが大きな出来事だったと語るとき、その感情は観客との間の絆となる。
「死は人生の終わりだが、二人の関係の終わりではない」
とエドワードは繰り返す。
エドワードとジョジョは残骸(Wrecks)になってしまったかもしれないが、ラビュート的世界における人生描写の価値を高めた。
ハリス(様)の演技力はエドワードとジョジョの関係を生き生きとしたものにし、劇場を時間と場所と人生についての感性で埋め尽くす。
・・・・云々。
ということでした。
しかしニューヨーク・タイムズのスライドショーでもモクモク煙を吐き出していましたし、チェーン・スモーカーの役ということですが。
本当に吸っているみたいで、なんだか気になります。
劇場はタバコ臭いんでしょうか。(苦手。)
それからエド様の健康面も。
ラビュート監督とのインタビューの中でも
タバコを吸うのかどうか
と尋ねられて、
時と場合によってね。
という感じの返事をしていましたが。。。
インタビューの訳はちょっとお待ちください。
(また寝込んでいます)