続きです。
規模は小さいが理解の深いファン層は、ハリス(様)の芸術家っぽさと男っぽさの溶け込んだところにほれ込む。彼はしばしば 「知的女性のセックスシンボル」 と呼ばれる。
しかしより幅広い聴衆(顔と名前を一致させることができないような人々)にとっては、ただいつも印象的だが名前のわからない悪役か、脇役俳優にしか見えない。
たぶん、それがハリス(様)のパブリック・イメージについて語るときに彼の気分を逆なでする理由である。再び彼は冷たい、青い瞳を向ける。
「私は自分の性格なんかわからないよ。正直なところ、どっちであろうと気にしない」
「それはたぶん、私のキャリアにとっての欠点ではある」
と、彼は付け加える。
「私は同じような役を何度も繰り返すような立場に身を置こうとはしなかったからね。しかし私にとっては、何が面白いかということは、私に何ができるのかというのと同じようなことで、人生においてではなくて、仕事をすることについてそうだったんだ」
ポロックはあらゆる意味でエド・ハリス(様)が監督として、また俳優として勝ち取った究極の映画である。しかし彼はそのために個人的な損失をこうむった。そして
「私はまだこれから先、いくらか働かなくてはならないんだ」
たとえば 「スターリングラード」 とか?
「たぶんまあ、そんなところだね」
しかし 「めぐりあう時間たち」 の仕事を得、彼は4度目のオスカーにノミネートされた。
そして今、娘が独り立ちしようとしているときに当たり、彼はこれからさらにニューヨークの舞台に立つことを約束する。そして
「この世からおさらばする前に、もう少し監督もしたいと思うんだ」
というわけで西部劇 「Appaloosa」 を、ヴィゴ・モーテンセンとダイアン・レインをキャストに迎えて撮影を始めようとしている。
また椅子を投げつけたりするのだろうか?
「思うに、きみは私のことを支配欲の強い人間だと結論付けようとしているだろう?」
と、彼は後になって言う。
「そのうちにそうじゃないことがわかるよ。コントロールしなければならないことが多すぎるんだ」
彼はこれから違うことをやることについてオープンでいようとしている。
たとえばコメディー風の役を演じたいと思っている。
(Wrecks は、彼が異議をとなえているにもかかわらず、そのような役ではなかった)
しかしただ一つの、彼が演じたコメディー的な作品は1994年の失敗作、「ミルクマネー」での父親役だった。
彼は必ずしもその役が気に入ってはいない。
そして、
「あれが好きだといってくれる女性もいないことはないけれど、でもまたやる気になるかい?」
と、彼は肩をすくめてみせる。
そして最後に、ちょっとひねくれた顔いっぱいの微笑を見せた。
以上で終わりです。
そんなに「ミルクマネー」が嫌いなのね。。。というのが残念ですが。
・・・にしても、ヴィゴに 「椅子を投げつけ」 たりするんでしょうか、ハリス監督。
(というか、「ポロック」 みたいな切羽詰った内容の作品じゃないと思うし。・・・もう完璧な古典的娯楽西部劇に仕立てて、楽しくやってほしいです。賞狙いじゃなく。)